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鍋倉山

鍋倉山
鍋倉山=鍋城

鍋倉山展望台

天正年中(1573年~1591年)先の領主阿曽沼広郷(十三代)が、松崎町光興にあった横田城を鍋倉山に移して横田城と称しました。
鍋倉山に城を移した後、、中河原と称していた河原に一日市町(現在当ホテルがある場所)を開き、一の日の市日をここで行うようになりました。この頃から交易の中心地としての条件が次第に整えられてきました。
慶長5年(1600)阿曽沼廣長(十四代)のとき三戸南部(盛岡南部氏)の後押しによる阿曽沼家家臣団の謀反にあい、廣長は世田米に逃れ再び遠野に入ることができなくなったそうです。その後南部利直の城代統治となりましたが、遠野領内は利直の風俗不案内、住民の心に反する仕置き、また三戸本領まで遠く治安行政に目が届かず27年もの間治安が乱れ混沌とした世情が続いていました。
寛永4年3月(1627)南部利直の命により、八戸根城南部直栄が藩境の警備と、治安維持のため、特別の権限を与えられ遠野の地に移封させられました。南部直栄が入部以来、領内の諸制度、士民の格式等を定め、行政組織の確立を図り、次第に遠野の地は平穏になってゆきました。
直栄は城下町として町割りを決め、士族丁と街屋敷を区分し、城下町特有の風情を生かし、古代からの遺風と格式を尊重して経営にあたり、直栄・議長二代にわたり約50年間で現在の城郭址と市街地の町割りを完成しました。
この当ホテルの玄関から正面に見える鍋倉山の山城を「鍋城」と言い、当ホテルの名前も八戸から入部した南部直栄に敬意と親しみをこめて「鍋城」と名付けました。

鍋倉山散策

遠野城下町

鍋倉山(鍋倉公園)までは当ホテルから徒歩で10分程度で行けます。
中腹には南部神社、 三の丸からはかつての城下町としての街並みが一望できる他、展望台もありますので是非上ってみられた方が良いと思います。
なお、二の丸は南部家代々の墓、本丸は現在何も残ってはおりませんが春には桜の名所ともなっており、遠野市民に親しまれています。

※ 鍋倉山では毎年熊の目撃情報がありますので注意(音の出るものを身に着ける等)が必要です。

ホテル鍋城から鍋倉公園へのアクセス

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